もし土方歳三が宮古湾海鮮
でストーンウォールジャクソン号を奪取してたらどうなってたでしょうか?その後の展開を予想して聞かせてください。
海鮮鍋、うまいよ!
取ったところで、開陽のように座礁させちゃうのが
関の山
宮古湾にしろ開陽丸にしろ天候不順で失敗してますよね榎本軍っていうのは誰か雨男でもいたんでしょうか?
あれよりもうちょっと続いただろうけどね
榎本武揚ってそんな感じさせるよ
で、土方歳三が奪取、っていうよりせめて艦長の甲賀源吾が、って言って欲しいな
・女がいない
・生活基盤がない
・手に職がない
開拓しようとしてるよ<手に職
軍備面でなくそっちをきちんとしようとしすぎて反発も喰らってるはず
それはそうとストーンウォールジャクソン号は別の船で
甲鉄(東)はストーンウォール号
ええ、寧ろ軍艦の維持費を考えてもまず無理だったと・・・。
函館戦争でさえ、官軍が攻めてきてくれなかったら飢え死にしていたと
だれかが証言したとか。脇さんの誰も書かない箱舘戦争だったかな。
少なくとも独立国とはなりえなかった
榎本武揚にそんな意思はなかったんだからね
情けない
まあ土方・伊庭・中島あたりは戦って死ぬために蝦夷に渡ったのだろう。
土方は戦術家として甲鉄奪取を成し遂げたかったというのはあるだろうな。
ところで甲賀の案だったというのが一番の有力説なのだろうか。
仏軍人もその案に一役買ったとか。資料によりけり。
土方というのは創作だと思うけど。
これは創作だろうさすがに
日本人としては甲賀と思いたいけれど、
なんとなくあやふやに甲賀が考えてみて、フランス人が形にしたなんて感じじゃないかと思ってる
ところで、榎本が黒田清隆に降伏直前に渡した「海法全書」(だっけ?)の本、
榎本武揚が読めなかっただなんて聞いたことがあるんだけど本当だろうか
やけに榎本を罵倒した伊庭の本で読んだんだけども
仮に独立国家作っていたとしてもすぐに無くなってただろうな
荒井と甲賀で対甲鉄の砲弾を作り、発案に関しては甲賀とニコールが行ったそうだ
土方・榎本はない。賛同はしたとの資料がある。
3月19日に軍議で決定、翌二十日に出航というスピードだった。
土方がガトリング砲撃ちまくるとこがよかったなぁ
ごめん、よく分からないんですけど・・・?
年末時代劇スペシャルの五稜郭見れ。
いや、こっちとしてははっきりよくわかってなかったのでこちらこそすまぬ、ということで。
ただ出典を教えて頂きたいのだが・・・。
あれは嘘だろう・・・>>15
PAM午前フライト103爆弾は何だったの
一時沈んで終わりかとおもってたらあがってたのでうれしいです。
発案者はブリュネって人いましたよね。あの人ってよんだ気がします。
個人的には国際法を熟知していた榎本がオランダを真似た国家を作って
旗本や浪人なんかを集めて今の中国台湾のような関係になったのではと思います。
新政府に出した最後の手紙には、
蝦夷政権の代表とする徳川の一族を誰かそちらに選んでくれと
「嘆願」しています。命乞いにも近いことを言ってます。
私は多分、榎本は「何かのトップ」に立ちたかったのでは、と思います。
もしくは、抵抗を見せることで降伏した後要職につきたかったのではとか。
切腹騒ぎとか、嘘くさすぎるんで。
っていうか榎本は旧幕府艦隊を官軍に無条件で
明渡すのが惜しかったんじゃないの?
なんかそんな気がする。
小生の出典した本は竹内収太「箱館戦争」
これには甲賀とニコール二人の案であると書いてあったと思われ
ただほかの筍生日記だったか、蝦夷の誰かの日記にも甲賀発案とあった。
甲賀とその補佐でニコールだったのではないのかと。
>>15
あれは良かった。大塚弟が可哀想だった。あのドラマは傑作だな!!
とりあえず甲鉄をとってたら新政府には使い物になる軍艦は
なかったはず。幡竜に朝日丸が沈められたのがいい証拠。そのた
め制海権は抑えられて後は蝦夷政府の力次第ですね。うまくす
ればいきのびてたはず。
五稜郭の政権は年は越せたと思うけど、将来存続したとは思えない。
開拓には人数が必要。本土に基盤がなければ立ち枯れるだけ。
榎本が「海律全書」読めなかったって説が笑えるな
実際には榎本による勉強した痕がその本に書き込んであり
そのノートに黒田が感動したとのこと。
皇居だか国会だかの図書館に現物が残っていると聞く。
開拓云々より官軍が攻めてこなければ餓死しおていたと回想している兵卒がいたと
どこかの本で見かけたような気がする。
まじレスのある良質スレなのに、タイトルに「海鮮」とは抜かったな……
>26
宮古のウニ丼うまいから特にね!
俺があらしちゃいけない。w
さすが新鮮組!
あの年末時代劇「五稜郭」にいつも時代劇で斬られるアノ人が
新撰組隊士で土方の副官みたいな役だった。
メイクの濃いあの人ね(笑)
野村利三郎役だったね。宮古湾海戦でガットリング砲の掃射を浴びて
死んだ。今回は斬り死にじゃなかったけど、派手にもんどり打って倒れ
てたなぁ(笑)
タイトルは実は書き込みはよくするんですがスレたてたのは
初めてで緊張しちゃったのかもしんないです。すいません。
あと土方にしたのは甲がなんかよりレスつきやすいとおもった
からです。
野村利三郎の戦死・・・
なんか彼自身より「野村、野村、利三郎ー!」と叫んでいた
相馬主計のほうが印象深い
泣きたくなりました、というか、泣いた
・・・下げてしまった。間違えた
債券滝マイル
つい先日「五稜郭」のDVDを買ったので久しぶりに見てみた
函館を攻撃のため出港した後、「第二回天」とかと嵐のためはぐれてしまった。と言っていたけれど
2.3隻でやれば成功したと思う。
それから、蝦夷共和国はちゃんとアメリカやイギリスなどにも認められたものだそうだから
函館戦争の成否は外国の干渉を引き出すことが出来るかにあったんじゃないかな。
だけどもともと甲鉄艦は幕府に売るはずだったものを新政府に売ったんですよね?<アメリカ
そこのところ、アメリカどうなんでしょうか?
実際、野村と相馬は近藤勇が投降してから、仙台で土方と合流するまでの間、
新選組本体から離れ陸軍隊の幹部として転戦し、辛苦を共にしてきた仲だからねぇ。
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の話題で、持ちきりです。
戊辰戦争勃発後、アメリカは中立の立場に立って、甲鉄鑑をどちらの陣営にも
引き渡さないようにしていたんだよ。でも、榎本軍の旗艦・開陽丸が沈没したという
報道が入って、津軽海峡の制海権を失ったことが判明したので(実質その時点で
榎本軍の勝機は無くなった)、アメリカは新政府に甲鉄鑑を引き渡したんだよ。
(アメリカも、心情的には榎本を応援していたみたいだけど)
当時日米修好通商条約で開港されてる地は限定されてたはず。
それがアメリカ国旗かかげ無名の漁村にきた船を新政府側は国
旗おろすまで警戒してないのはどういうことでしょう?
うんうん。凄い感動。
中村彰彦先生の「明治新選組」を初めて見たときの直後に読んで更に感動。
野村計四郎と名乗る相馬主計・・・はちょっとな、ですが。
>>39
そこまできちんと理解している人がいなかったのか、
そう気づくのが遅かったか、どっちかじゃないでしょうか
新政府は汚点としてそのことは隠したんじゃないかなと
実際ストーンウォール号に乗船できたのって何人ぐらいなんですか?
野村はガトリングがんでやられたが他はどうなったんでしょう?
土方は回天の甲板から降りてないんだっけ?
東郷平八郎も参戦してたらしいね。
どっちもあたってるよ。
甲板の差が3メートルもあったかららしい
そんなことも知らなかったのか、箱館政府・・・
失敗の一因はここにもあるよね
>>42>野村利三郎
彼は色々な資料によると船と船の間に落ちて官軍に落ち殺されたのが正解のようだ
実際に資料ではガ砲に撃ち殺されたといっている資料などはない。
司馬氏の創作だと思われるが、そのほうが格好良いよな。
斬り込みに失敗して落ちたとかはやはり格好悪いしな・・・
判っている人もいるとは思ったが突っ込んでみた、スマソ
ちなみに甲賀や安藤といった面々は小銃かガ砲にやられ、大塚など斬り込みした人間については
待ち構えていた兵士の槍や銃にやられたそうだ
>>39
急襲にあったのは夜明け前、そこらへんも理由の一つだと思われ
>>43
甲鉄の大体の大きさは知っていたらしいが、甲鉄は当時の船としては珍しく
木造部分よりも鉄製の比重が大きい、そして重量もその分重かった
そのため海中に沈み込んでいたため甲板が随分と低くなっていた
でもそこまで考えておけよとも思う
カメラマンは"大恐慌を" FO
>>40
あの小説は正直駄作だと思ったが
オチとかオチに繋がるエピソードとか色々
作者は元々新選組の研究家として出発した人だったしね。
落ちたりして間抜けな(失礼)死に様とはいえ、
春日左衛門とつまらないケンカをしてみたり、
榎本にその命を救われるほど愛さ(?親しま?)れ、
中島登に絵として残されるほど愛され、
その高さをものともせず飛び込んでいこうとしていったのは
事実とみるとやはり格好良いというか「いいな」と思う
好きだなあ・・・
とある本で見た(何かは忘れた)、
死ぬ前に怪我をした相馬主計をもとの船に放り投げてやった、
というエピソードがやりきれなくて凄く好き
3メートルもあったらほんとは無理だろうけど
ちなみに大塚の次に二番目に斬り込んでいった、というのは事実らしいですが
最近新撰組の本出していたな
小生も購入したのだがまだ読んでいない
>>47
>死ぬ前に相馬を投げ
なんだそれ!!漏れ知らないなー、面白い
二番目かどうかは判らないが斬り込みした五人?の中にいることだけはたしか
二番目に斬り込んで行ったという資料も実は見たことがない、創作か?
しかし野村の人柄というのはやはり好かれていたらしいな
中島登の姿絵はナイスだよな!
43さん作戦では三艦で切り込むはずだったが嵐のため回天のみ
で切り込みを決行せざるをえなかったというのが真実でしょう。もとも
とは回天はせつげん
用ではなく砲撃用に航行していてのこり二艦たしか千代田形と幡竜
が接舷用だったのでは?本当に運がなかったですよね。
ちょと訂正
接舷は確か回天だったはず。
そうでなければ艦長レベルの人間が二人乗っている(甲賀・荒井)意味がわからぬし、
斬り込み担当でこの時の陸軍指揮官土方が乗っている意味も判らん
因みに千代田は運送艦だ。三隻ってのは回天・蟠龍・高雄(第二回天)。
違うよ、土方は見物役だよ(言い方悪いな、監視か?)
新選組はもともと参加しない予定だったらしい
だから野村死ぬはずなかったのに気の毒に、という話を聞いたことがある
・・・でも確かに変だね、何故だろう
>最近新撰組の本出していたな
最近の著作ではなくて、昔書いた新選組本が文庫化されたんだよ。
作者が小説家になる前に執筆したやつね。
あの本が中村彰彦の原点なんだろうね。
>>51
そうそう。回天には斬り込み要員はいなかったらしい。
回天しか湾内にたどり着けなかったから、急遽作戦変更したわけなんだろうね。
同意回天は砲の威力は一番すぐれているんだから砲撃側
にまわるでしょう。指揮官がのっていたのも不思議はないでしょう。
大将が刀もってきりこまないのと同じように指揮官は
後方にいるもんだと思いますよ。指揮系統がめちゃめちゃ
になっちゃいますからね。
何か資料系の本に接舷用と書いてあった記憶があるのだが漏れのミスか
スマソ・・・
新撰組の連中は回天には乗る予定はなかったと思う
神木隊と彰義隊の人数しか書いていないからな
そもそも、この作戦に新選組は参加していないんだよ。
野村も相馬も、新選組隊士としてではなく、土方の書記官
として同行していただけではなかったかな。
・・・ってことは
本っ当に天が味方してくれなかったんだなあ・・・。
漏れも同意
軍議が出発の前日であったというから
多分どさくさに載ってしまったとかだったりしてな
>>56
この戦争は涙が出るほど運が悪いこと続き
榎本は強烈な雨男と見た
というより戊辰戦争全体でみても幕府側はついてなさすぎる。
鳥羽伏見なんてどうみても幕府の勝ち。宮古湾海戦も嵐で回天
のみになったし回天にしても高さの違いまた接舷形態どれをとっても
最悪の状態になっている。
短絡的な感想(?)だけど
回天だけになった時点で撤退した方が
犠牲出さなくて済んだんじゃ・・・?
多分そうしたら間違いなく蝦夷共和国は崩壊でしょうね。あの時点で
新政府の艦隊は宮城まできていたのだからまもなく艦砲射撃にみまわれて
いたはず。一か八かにかけたんでしょう。あの後接舷攻撃できるような
機会はないからあれが最初で最後のチャンスだったとおもいます。
若き日の東郷平八郎に実戦経験を与えただけでも、この海戦の価値はあったかも(笑)
東郷は春日に乗船してたんですよね。なんかはたらいたんでしょうか?
宮古湾海戦が世界の海戦史にのっているということは史実なんでしょうか
だとしたら、負けたけれどやらなかったよりはずっと良かったと思う
あまり、この戦いを「馬鹿だ」という人は聞かないし(榎本の運の悪さはさておき)
本人の回想録が残っているよ。たしか慣れないながらも東郷青年は大砲を操作して
回天の横腹に一発砲撃したと思う。
東郷って阿波沖海戦にも参加してるの?
高幡不動マンセー
たしか坂の上の雲ではあらゆる近代海戦に参加している
ために連合艦隊の長官にえらばれたってかいてありましたね。
阿波沖海戦でも圧倒的に幕軍におとる戦力で運良くにげきったとか。
しかしあの日本海海戦の指揮者を運不運で決めるのも
すごいことですよね。
たしか坂の上の雲では東郷は運のよさで連合艦隊の長官
に選ばれたらしいです。阿波沖海戦でも幕軍に圧倒的に
おとる戦力でうまくにげきったみたいですね。しかし
日本海海戦の指揮者を運不運できめるのもすごいきがしますね。
二十書き子すいません。ついでにききたいんですが
五稜郭の他に四稜核ってあったんですか?なんかの本
で読んだ気がします。実際戦闘では役立ったんでしょうか?
四稜郭は官軍の攻めてくるのにあわせて作った砦
五稜郭の北西に位置
ただし、着工も春になってからであったので官軍が来るのに間に合わず
完成からわずか一日で官軍に落とされたので役に立ったかどうか
ただ、やはり平地やなにかよりは官軍を苦しめたそうだ
守っていたのは松岡四郎次郎や本多幸七郎
現在でもその跡が残っている
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